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拝啓、ジョンレノン

あなたがこの世から去り随分たちますが、世界はまだまだ、なにもかわらず、あいからわずの世界です。
最近、私はハイ・カルチャーって単語に敏感になっているのです。選ばれた人たちの選ばれた作品が選ばれた世界で選ばれる。
拝啓、ジョンレノン。昔はそういうのを蹴っ飛ばせとばかりに破壊的な作品をつくる人たちが現れましたね。
ジョン、でも思うんです。昨今日本は本当に本当に貧乏で、カウンタ・カルチャーが出てくるような構図の成立が難しいんじゃないかって。
ご飯が食べられないという貧困ではなく、心をすりつぶして日銭にして生活する事で心が貧しくなるという貧困。
生きない事で生きている。そんな人に、"生きる"ということを他者に語れるのかというと私は疑問に思います。それは一歩間違うと、ただの生活に対する不満をアジるアクティビストくずれになってしまう。
今日Twitterに書いたんです。
『文学 と 福祉 を比較するなとか言うけど、実際お金がないんだから、福祉にお金を優先すべきだ。文学はなんとか生き残るだろうが、ご飯が無いとひとは死んじゃうから。』
って。
すでに日本は闇に入っています。この夏が最終臨界点だった、そう感じるときがあります。
文化は、ハイ・カルチャーという名のもと、ほそぼそとその灯火をつないでいけば良いと思います。
かなしい気もするけど、それが良いと思うのです。連綿とつないできた日本固有の文化がなくなるよりよっぽどマシです。


拝啓、ジョンレノン。あなたには、日本で安住している私を笑ってほしい、私はそれを自ら選んだ訳ではなかったけれどそれは私のお笑い草です。
ジョン、私は中途半端なんです。皮肉たっぷり不敵にわらって街暮らしをサバイブするサブ・カルチャーも三十代後半からの世代の喧噪でしかありません。それ以降の世代には、なんでもあるし なんにもありません。あらかじめ、失われた、世代。マーケッターはそう呼びます。


前の世代がしきりに言う、新しいリアルなんてありません、リアルはリアルのままです。
雨は降ります。風は吹きます。河は流れます。
「じゃあ、それを提示すれば良い」とは言われますが、そんなのは当たり前のことで、あらためて何も言うことがありません。


スケートボーダーみたいに生きることは、試してみてもいいかな と思うときもありますが、それは私の指している文化とは違う意味の文化であって、それは「スタイル」というものに近いかもしれません。しかし、フィジカルに軽やかである事は羨ましいと思います。


最近読んでる本で知ったのですが、隠遁者は自然に自らの孤独を寄せて、はじめは嘆き悲しみ、その後そこに美を見つけてかろうじて生きるという方法をとっているみたいです。羨ましいと思いました。半分はそういうふうに生きたいと思っている自分も感じました。
しかし私は中途半端なので、山にこもるような態度も取れません。
与えられた環境を、しっかり生きぬきたい。それだけのことなのに、何故こんなに苦悩するのでしょう。
前からライブに興味があるっていいはじめているのは「わー、踊りたい」とか衝動的に思うのって、すごいなって思ったから。今はそれだけが心を動かす方法だなと感じているのです。
生きて、生かす。できるのだろうか。


結局はお金の問題です。否定できません。お金問題は乗り越えが難しい。
これを書いた所で何も変わらないのは分かっているのだけれど。
ねぇジョン、想像したい。私は想像したいよ。