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プロパガンダ

そこかしこで耳障りなほどにエコエコ言われて、「なんだよ」と、パンクな気持ちになっている。
"ちきゅうに優しいえこ人間"は、地球の重力圏の中で生きる生物として、思い上がっているんじゃないか?


本能や欲望のおもむくまま生きて居る中で、環境の変化などの適応可不可によって淘汰されて、滅亡するなり生き延びるなりしていくのが、本来の生態学的意味でのエコロジーじゃないかしら。その意味で、人間はいずれどの段階かで必ず滅びる。終わりの無いものなど存在しないのだ。


たしかに、"持続可能な社会"という資源(石油)の枯渇をより遅延させるというコンセプションは理解できる。それもまた人間という総体の文化的動向として許容したいと思う。
しかし、"それすら「今まさにお金が動く」ための消費行動を煽るコピーに使われている"という事を曖昧にして、笑顔で"えこ"してる運動を見ると、なんだかかなしい気持ちになる。
くーるびず。えこがえ。


私の周囲には、こういう感じで"えこブーム"を捕らえている人は多いような気がする。



しかし、こういう事をブツブツ言っていると、"やらない善よりやる偽善だろ?"と言われる事がある。
ただ、それはどちらも個人的な欲望が発端で終着点も個人であり、"情けは人の為ならず"と言われる利己主義と近接していると思う。
利己主義的な欲望のあるところ、必ず消費あり。そして現在の社会で"消費行動を行う"という事は、つまりゴミを作り出すということにより近づいていく。
くーるびず。えこがえ。


※だからといって、家に隠って、何もするなとは思っていないよ。
例えば、冷暖房器具を開発する会社の設定温度を無理に高く設定するよりも、快適な気温の中で開発することで作業効率を上げ、より消費電量と排気される高音の空気が少ないエアコンを作り出してくれれば、よっぽど良いじゃないか。
こういうロジックを、私は"いいな"と思う。


ではもし、エアコンの開発者のように資源の枯渇をより遅延させる目的に対して、何かを作ったりするプロフェッションの無い人が持続可能性について何かアクションを起こしたい場合はどうすれば良いのか。
日々の生活で、おいしい料理を食べた時は「おいしいね」と言い、良い映画を見たら「よかったね」と話し合い、花を見つけたら食卓に飾り「きれいだね」と言ったら良いと思う。
そうやって日々を生き、だらだら曖昧にものを消費することなく、「食べた」「見た」「殺した」「摘み取った」という自らの消費を理解し、感謝して居ればそれだけで良いじゃないか。
私はそう思う。今の日本に住んでいる以上は、これ以外の生態系のフローになじんだ生活を思いつけない。