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神は死んだ?

神様がひょこり肩にのってたりする。「よっ」とかなんとか言って、片手あげてこちらに挨拶したりしている。こういう神様。
この神様は、オザケンが教えてくれた神様像だとおもう。ピース。


最近、大江健三郎の「宙返り」を読んだ手前、神様についてちょっくら考えようと思ってみた。保坂和志の『季節の記憶』でちょっと反対に行ってみて、つぎにダンテの『神曲』だ、という流れ。は、何度かここでも書いていた。
実は今、計画とはちょっとはぐれて、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』を読み返しはじめました。
これはどうして?というルーツをたどると。
小学生のころ、親にすすめられた訳でもなく教会に通うようになった自分を思い出した訳です。理由は、聖書が読んでみたかったから。その教会は通うようになるとくれるんです、聖書。で、その聖書の造本がかっこいいと思っていて、欲しかった。物欲です、はい(笑)
で、教会では一日に一枚、イエス・キリストキッチュなイラストになったカードをこどもに配る。それを毎回集めると聖書の一節一節が絵本のようになる。私はそのカードのコレクターでもあったわけです。はい、これも物欲です(苦笑)
話はいつも耳の右から左へ。もしかしたらイエスが神様だと思い込んでいたような覚えすらあります。ひどい話(苦笑)
で、その時期と平行して、はじめて自分から親に強く「ほしいから買ってください」と主張して手に入れたのが、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』(苦笑)
倒錯してる、、、こんな小3、、、。
でもその行為の意味はなんとなくわかってたんですね。その時に一生懸命引いた線が残った本を読み返しては和んでます。


今では私も、もう大人。ずいぶん自由です。神様が肩に乗ってる、という話にニコニコしてピースできます。
大丈夫、私はすでに答えを持ってる。私は神様のなんたるかを知っている。
ただ、まだ言語化し得ない部分があるだけだ。
だからこそ、朝方急に目が覚めたりするんだろう。


参考 http://www.ne.jp/asahi/village/good/nietzsche.htm