敏感な知覚の振り返りを行える作者だからこそ到達した日常のふとした動作への気付きがあるのだと思う。「異化」は日常の中でこそ生きる。では身動きのとれない『メディアアート』が日常に入り込むには何が必要なのか?ギミック?より速いネットワーク?無線電源?違う、、、メディアがコンピュータではないものも内包する必要があるんだ、、、。その点でJタレルは偉大だ。
メディアがコンピュータではないものも内包する必要があるんだ、という直感が今さらになって自分の前までかえって来た。
ただのシンタクティクな情報インタフェースではなく、セマンティックな情報を運ぶインタフェース。そしてその価値は、全ての対象に等しく開かれている。そしてまた、ひとりひとり、ひとつひとつの場面にまったく違った価値(意味)を提供するのだ。