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今日まで借りていた本に

文学地図 大江と村上と二十年 (朝日選書)

文学地図 大江と村上と二十年 (朝日選書)

村上か大江か
っていうタームが出てきて。村上もしくは大江のどちらかしか言及できないムードについて、、、あるある。
ちなみに私は、最近は断然、"老人の愚行"をゆく大江のほうに興味があります。"奇妙な二人組"には有無を言わせぬ凄みがあった。


村上好きですっていってた後輩に「へー」と、ぺらっぺらな返事をしていた私を思い出すと、きっと私も村上or大江と思って二択で考えていたのだろうなぁ。
嫌いじゃないし、出たら必ず読んでいるんだけど、あんまりピンとこないなぁと思っていたのは事実。
(村上の新刊はタイトルからちょっと攻込んでる感じが見えているのでちゃんと読もうと思っています。とりいそぎジョージ・オーウェルの「1984」を予約してある…)


村上の小説は高校時代にすごく読んだ、多分全部読んだ。でも初めて大江の小説を読んだ時『あ、段違い』と思ったのを覚えている(ただしそのときなにを読んでいたのか記憶がない)。
それ以降、村上の小説は「一応読む」という存在に。名作出たーという感じで世間的に湧いた"カフカ"は、私にはだいぶ印象が弱く見えて、一度読んだきりだ。
それ以降は"もはや大江を読むしか無いのか"とか思っていた。(中上が生きていたのならどうなっていただろう…)


その後、グリッサンからはじまるカリブ文学、文芸漫談や小説復活のいとうまわり、日出男ナルシスおもろい説などが私に到来する。私の読書生活は、たびたび大江を読み返しながら、合間にクレオル系の小説か最近の日本の小説家の中編ものを読むというペースになっていく。文学に使う絶対的な読書量は減っていた。


でも今日、何かしらの文学的到来が私にあったのです。図書館でひとり『わー!』っとなった。全然ハンドリングできないけど確実な文学が降ってきた。文学が戻って来るかもしれないっていうポジティブな"思い"、なんだろうこの根拠が見えない感じ。
しかしとにかく文学は戻ってくる。私はそれに対して何かをしなければならないと心から思っている。



広告批評が終わりを迎え、橋本治が時評を止めそう。ああいう毎月の文章が読めなくなるのは、結構つらいことだ。
私は私の目と手と足と頭で、この世界と渡り合っていかなければならないのだ。
お願い文学。きちんと戻ってきて。