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市民メディア

ここ数日、「市民メディア」って単語について考えている。契機はiPhone日本発売と先日の事件のコンボ。
加えて、WWDCの会場前で知人がustしてて『面白いなー』って見てた感じと。いろいろ地続きで広がっている。


私がiPhoneを買ったら、いろいろやっちゃうと思うんです。GPS入ってるし。動画も取れるでしょ。
何かネタや、事件や、その他もろもろを目撃したら、きっとtwitterで一報入れてその場で動画配信とか考えるとおもう。ナチュラルに。
"共有したい欲望"は確実にあると思う。それは特に、インターネットが生活に浸透してから如実に感じる。



なにか微妙な問題も孕んでるなー、というのは感じていたんだけど、先日の事件でそれが外在化した感じがする。
映像で何かを撮るというのは、圧倒的に暴力的な行為で、撮るものと撮られるもの間に承認や信頼がないといけない。
それに気付かないままに、iPhoneなどの道具を手に入れて、「みんなやってるから」という理由でどんどん情報の一次発信源になりたい欲望を拡大させていくと、皆傷つくのではないか、と。それはもちろん、撮るものも撮られるものも。



まだきちんと考えていないから漠然とした話しか書けないけど、きっと、それを見る人の数によって、線引きがあるのだと思う。
その線引きは両義的だ。
例えば:Viewが多い人は 気軽に暴力を晒してはいけない、Viewが見る人が少ない人は そこまでして暴力を振るってはいけない。など。
(きっと、Viewerの数がそれを「メディア」と呼ぶかそうではないかを決めるのではないか。ただし、その数がどのくらいを基準としているのかはまだ検討もつかない。)



報道メディアの"プロフェッショナル"というタグは、そこにおける暴力という苦悩を引き受けるために存在しているのだと思う。


私も日頃、想いを巡らして注意しているけれど、無自覚に暴力を振るわないように気をつけたいなと思う。