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京都ダンスプロダクション2007

http://www.kac.or.jp/dance/kdp07performace.html
http://www.kac.or.jp/dance/kdp07performace.html

見ました。当日駆け込みですみません。


三組のダンスが三十分づつ、合計約一時間半の舞台。
公募で選ばれた振付家によるプロダクション。その間いろいろなサポートがあり、すべて世界初演だそう。


なかでも、南弓子さんの身体に一番親近感が持てた。モチーフが昔のアングラっぽい雰囲気を醸し出していて、それが個人的にはあまり好きではなかったんですけど、彼女の動き(特に膝まわり)には、こちらのからだが「わかるー」って反応した感じがしました。そういう印象を抱いたのは、南さんの作品だけだったかも。


舞台も結局は時間軸で振幅をコントロールするもので、ライブで見ている観客にとっては、アップダウンや緩急をつけた判りやすい構造を持ったものを評価しがちなのかもしれない。
しかし、ワンモチーフで舞台装置の技巧を押し出したり、ポエジーのない記号操作をされると、ある一定時間同じ場所でそれを見続ける事しかできない観客は、冷たいまま取り残されてしまうだけだなぁ、と思いました。
結局私は、ダンサーに「ぐっとくる動き」とか「みたことない動き」などの、自分の身体感覚を擬似的に拡張してくれるようなものだけを期待してるんだなぁと実感した。
そういう意味で、ダンスの舞台に音楽をつけるのってなんでなのかな。ということをずっと考えていた。
音楽で台無しになる動きは確実にある。音で誤摩化すという考え方もある。
その場に音楽を演奏する身体が無いのであれば、私はわざわざそれをライブで得ようとは思えない。


「ダンサーの息づかいが聞こえる」もしくは「聴かせる」という事に関しては、とっても気になるんだけども、ちょっとまだ判断がつかないことがあり、いろいろ考えたい感じがします。


余談:
実は、ダンスの合間に舞台を片付けたり次のセッティングを行っているスタッフの身体や動きが一番面白かったというのは私の歪んだ性格のせいでしょうか。うふふ。
なんか、「こうやって動こうな」っていうのを前もって示し合わせてあるので、無言のうちにすごくシステマティックに進んでいくの。モップで舞台上の白い粒を掃いてる様などは、アルゴリズミックで良かった。