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読書中

2角形の詩論―北園克衛エッセイズ

2角形の詩論―北園克衛エッセイズ

じっくり大切に読んでて、まだ半分くらい。このエッセイ群、たまらなく良い。
特に、まさにこの現代、詩を読み書きする人にとって、こんなにためになる喝破はないだろう。

本当はしてはいけないし あまりしたくないけど 一部抜粋:P61 L13-L17


(前略)
長い間日本の詩は、叙情の、そのとろけるばかりのビスケット的安穏のなかで、純粋の雛鳥のために時を消費した。この限定された安息の日々は、すでに乳児の寝室の酸化した不快な空気にみちている。かくしてすべての詩は、ついにクリティシズムの美と健康を喪ってしまったのである。そして詩はついに詩人以外の人々にとっては、彼らの退屈のおもりや恋の伴奏曲以上の何ものでもなくなっていたのだ。あまりにもおびただしいクリティック・アイなき蛹的存在。そしてそのあまりにも長い漂流の時代。
(後略) 1946年9月

あー私もそれだ、ただのそれ。って思った。結局は、先人達の詩的言語の成功例というメソッドのリファレンスがあるんだ、身の内に。で、それを自分のロマンティシズムを鎮めるために利用して、小気味よく耳ざわりよく書いてる。
でも、それらは無駄な行為だともしってる。その中で、手癖で書けるところまで書ききってその先。未だ見ぬ"あれ"ってのを追い求めて書き続けることをするなんて。
今の時代いったいどれだけの人が?と頭を抱えた。


このエッセイ群にばっさり切られてるものたちもイヤな気がしないだろうな、と思う、そのくらい、北園氏の詩論は肚が座ってる。
揺れて変動しつづけている美のようなもののあやうさに触れ、なおかつロマン主義的な態度を周到に批判し、"自分"という言葉の虚無をひきうけるポジティブで明晰な知性。
結局は、覚悟の問題でもあるんだ、ポエジーというのは。まさにエッジ。



しかし、何を書いても何かの剽窃でしかありえないという状況の中で、すでにその状況を遊んだり悲観したりおちょくったりする全ての態度すらためされた、さらにその先を、今の時代いったいどれだけの人が?
クリティック・アイをもっていればいるほど、1文字も書けなくなっている事実。
クリティック・アイによって、クリティック・アイというものすらあやぶまれているのではないか。さらにその先を、今の時代いったいどれだけの人が?


これがかかれた62年前と現在とでは、おなじ態度では立っていられない。
だけど、肚をすえなきゃいけないという姿勢は学べる。