◆NEWS :装幀してます 最近のお仕事は→仕事の記録 : Twitterから
◆NEWS:2007年3月、フリーランスのデザイナー兼ライターとして個人事務所を立ち上げました。

ビジュアログtumblr:http://okazawarina.tumblr.com/
つぶやきtwitter:http://twitter.com/rokaz
つぶやきログtwilog:http://twilog.org/rokaz

ひきうける/触れる

旅行帰りに胃痛になって、救急センターの待合室で痛みをこらえてじっと座っていた時のこと、を考えていました。
普段は健康で痛みなどの経験がほぼ無いので、あまりのショックでちょっと混乱していたと思います。
その日は日曜で、救急外来には長い待ち時間があったんです。
私は今・まさに こんな激痛に襲われているのに、待合室にいるまわりの人は、ぎゃーぎゃー騒ぐ子どもの"鼻水と熱が…"とか、"急に来たからお金がないからタクシー代貸してくれ"と無理を言って医者と問答していたり…。
そういう理由で待っていると、まわりの人には切迫感がなく見えて、『頼むから順番変わってくれないかなぁ』とばかり思っていました。



その時、私の肉体的な痛みは、私しか引き受けられないんだなぁと思った。当たり前なんだけども。
全然ましにならない(むしろ増してくる 笑)胃痛の中で、『私の苦痛を代わってくれとは言わない、でも、お願いだから分かってほしいのよ』と思った。
だけど、待合室にいた人たちはそれを引き受けてはくれなかった。
だれも私を受容しない場所で痛む孤独感。
これは苦しかった。


私は心の中で「おかーさーん」と母を呼んだ。
今、両親が車で病院まで迎えにきてくれているのは知っていた。でもそういう意味じゃなくて、私は呼びかけていたんだ、誰か痛んでいる私を、今・この場 で受容してほしい、と。
そう思った瞬間、涙が出てきた。


自分の事で感情的になって泣くということは滅多にないのだけれど、この時は違った。
止めようと思えば思うほど止まらなくて余計に混乱して、タオルを取り出し顔を覆った。


多分一時間くらい、壁にもたれながら痛みに耐えたと思う。ようやく順番が来た。まだタクシー代の人と医者が口論している(苦笑)
問診して、触診して、「食中毒ではないね、多分自己申告通りの急性胃炎じゃないかな」と言われた。
点滴を打ってもらえたけれど、そんな事で今のこの傷みが消えて無くなる訳じゃなかった。
ベットに寝ていても痛い、点滴が入ってるから動けない。


天井を見つめて、左手で胃を押さえながら、ひどく冷静に考えていた。
私自身の痛みについて。
そして、こういう私を受容してくれる人がどれほどいるのか、そして私は、それが誰であってほしいと思っているのかについて。



点滴が終って、処置室に両親が入ってきた。
バツが悪くて「あーごめんなさい」とつぶやくと、母が私のことを撫でながら「可哀想に」と言った。
「ありがとう」
泣きそうだったけどこらえた。この時"痛みの質"が変容したのを実感した。


今は、あんまり病気をしたりすることがないけれど、もし身体的(もしくは精神的)に痛んだ時、きっとまた私は「わかってほしい」と願う。
その時私が独りだったなら、私はどうやってのりこえれば良いのだろうか。