「論座」の、〜をひっぱたきたい 関連の話題を初めて知った。いくつかの文章を読んだ。
(この関連の話題を知らなければ"論座 ひっぱたきたい"とかで検索して下さい、別に絶対じゃないです、むしろ知らなくても良いですけど)
ある種の閉塞感が襲ってきて、夜にひとり、なんだか泣きそうですよ。
インターネットなんて、気軽に繋ぐものではありませんな。
「いろんなひとがいて いろんなことをいうよ」とは最もヒドい慣用句ですが、最も真理でもありますな。
一応衣食住のために一生懸命仕事もするしコミュニケーションも得意なほうだと思って生きているけれど、現代日本の社会構造の中でがんばって活動すると直面するであろう問題群で絶望したくないから、周縁でなるべく核心に触れない様にギリギリで生きていこうとする、活動的な引きこもりなのかもしれません。不戦敗。失う事で生きていられる詩人タイプとは自己分析の結果。
「いや、むしろ直面する問題などない、それは妄想だ」と言ってくれる人はいますか?
とりあえずまだ会った事はないです。
「アニメでもみとけ」とは"痛い"のコメント欄でみかけて気になった一文:
この間から、私がわーわー言っている攻殻sacって、このような問題の縮図を、現代に即した「ありえる・ありえた」寓話として提示して、最後の方にある種のカタルシスを設定して昇華した気持ちにさせてくれる創作物であるから、制作者がヒーローに見えるのであって、実際にそんな部隊、舞台が存在するわけではないのよね。、、もちろん、魅力はそれだけではないというのは充分に分かってはいるけれど。
あぁ、そういうカタルシスに無意識に反応しているのかも、と気付いて、"はっ"としたのは事実です。
アートはユートピアじゃないのにね。物語はユートピアじゃないのにね。
戦争も言論も哲学もユートピアじゃないのにね。
だけど、想像力は大事だと思うのよ。
日々を着実に生きて、ちょっと他者のことにも想像力を使って想いを馳せる余裕があれば、それはきっと幸せ。
ドキュメンタリー。映像。現地。直接対話。
想像力のための勉強/教育。悪くないと思うのよ、ピョンピョン。
追記:心配おかけしました、まだ泣いてません(笑)
私にはまだちょっと希望があるし、なにしろ想像力もまだつきないから。