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"えんむす部"分科会

ジムが終った後、プラスドライバーを借りに友達のアトリエに遊びにいく。ばったりひさしぶりの人にも会う。
その後さらに、キムチをおすそわけしていただく。まったりお茶をいただきながら、"えんむす部"分科会の開催。


議題は"high educated女子の結婚子育て"について。
アナロジカルに原始時代の生活を想像してみる(はじめ人間ギャートルズ並の想像力で):
今日の糧を、狩猟もしくは収穫によって得、それを食べ、育ち、つがいとなって子を産み育て、死んでいく(※)/そのための「労働」という概念。ここでは、男が外で働き、女は家で子を育てる/という、今聞くと一部の人は過剰反応してしまいそうな一文も、原始時代の想像上なら頷けてしまいそうな自分を感じる。要は、動物としてはこの考え方は理にかなっていると思うという事だ。しかし、ここになんとなくひっかかりがある。


動物としての体格差や性差をきっぱりと認めているのにも関わらず、動物的につがいになる事に抵抗感があるのは、high educatedで、高めの自尊心を持つ女子にとっては乗り越えの難しい矛盾にさいなまれるからだ。


『労働の概念が変容して、糧を得るための労働力として、"体力"ではない力でも、糧の対価としてのお金を得られる様になったことで、結婚の社会的意義が意味をなさなくなっている。』要は、自分の力で糧を得られるのだ(男女とも。理論上は。)。
しかし、『♪スキスキスキスはひとりじゃ♪スキスキスキスはできません〜( a.k.a ロボキッス by W )』なのだ。


これはいまさらな問題点ではあるが、まさにその矛盾の最中に居る女子(つまり"えんむす部"部員)にとっては、文献やデータの中ではなく、まさにリアルな"状況"なのである。さらに、high educatedでアーティスト肌(つまり"えんむす部"部員)ときては、"その矛盾や問題意識自体"を作品化の対象として向かい合ってしまうというバッドループ/困難に次ぐ困難。


「子どもを産めば、そんな問題や矛盾は無化されて、"子どものため"にという視点で動ける様になる」ということか。それは確かにそうかもしれない。人は簡単に変われるからね。変わる事は良い事だ。
しかし、長期間自らの仕事や研究テーマに取り組めば取り組むほど、執着したり固執したりする心が芽生える。(できることなら自分のやっていることは無駄じゃないって思いたいからね。)だけど、ヒトの子どもというのは、未成熟なまま産まれてくるのである程度まで成長するまでは面倒を見ないと行けない。子どもがある程度大きくなるまでとはいえ、「わたしのこと」を手放すのが惜しくなる。それもまた人間。
その点で考えると、早い段階で子どもを持つというのは悪くないことかもしれないね。いそげ"えんむす部"!


ということで、"えんむす部"部員としては、早い段階での動物としての目覚めを喚起する方法を模索します!
さしあたっては、健康で楽観的な結婚適齢期の男子の集まる場所をリサーチすることからはじめます。
冗談です。本気です。冗談です。冗談です。ええ、冗談ですよ。



それにしてもジェンダー論になるととたんに嫌気がさしてくる。しかしジェンダー論なしにこの問題を語りうる方法などあるのだろうか?!?!



(※ 但し、文献的にあとづけのイメージもあり得る話で、実は女が猟りに出かけたりしてたのかもしれないけどね。)