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完全なる断絶

2人のセグメント:
昨日、鍋会のあと友人と話していて、ふと、「コンタクトインプロビゼーションをしている二人のダンサーの身体がふれあえばふれあうほど、二者の間にある完全なる断絶を感じる」と言いました。物理的には接触し反発し関係し合っており、まさに"コミュニケート"していますが、そこには絶対的に乗り越えられない断絶が浮き彫りになるように感じるのです。
コミュニケーションとは、断絶があるからこそ起こる積極的で前向きな"誤解"の総体だという実感があるからなのですが、これを説明するのはとても難しかったです。



先ほどの「気になるエントリ」と合わせて考えると、消費の欲望をあおるマーケティングや何かしらの政治的意図によってうまれる、個人のセグメント化、そして「見えない・聞こえない」状態になってしまう"積極性の消去"は、とても絶望的なことだとおもいます。


(余談)ここ最近のスピリチュアルブームは、断絶に対する潜在的な恐怖によるものかもしれないと思う。宗教的な土台がないといわれる現在の日本、特に若年層にとって、独りに耐えうるだけの力をどうやって手に入れれば良いのだろうというおもいにすっぽりと収まったのだろう。神話もしくは守護霊的オーラ。(余談おわり)


他者に対する想像力があればあるほど、人は孤独だと思い知る。ひらけばひらくほど閉じていく。
しかし、積極的に断絶の向こうの他者を見つめて対話を試み、誤解を重ねて行かない限りは、断絶はただの狂気にしか連れて行かない。


想像力と好奇心。それを持つ人が自覚的に断絶を乗り越えるべくトライすること。それが無理だと知っていてもなお尽きる事の無いPassion、それは受難であり幸福でもある。