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美を論じるにあたって

精神と自然―生きた世界の認識論

精神と自然―生きた世界の認識論

p289 L4-L8
美の問題にも意識の問題にも、未だに誰一人答えた人間がいないというのは、それなりの理由があるはずだ。そのことをだね、つまりあれだけの数の人間が試みて成功しなかったという歴史的事実を、第一の手掛りにして答えを模索していくことはできないかと思うわけだ。答えが必然的に隠されてしまうような仕掛けになっているということだよ。発問そのものに何かしらマヤカシの臭いがついていて、居もしないガチョウ狩りなんかやらされる。

覆い隠してしまうようなものがないかを検証するためのリスト

p290 L1-L9
1 それ自体は精神的特性を持たない部分(パーツ)から成る。“精神”とは部分がある種の形に組織されるところに生じる。
2 これらの部分は時間内の出来事によって引き金を引かれる。外界では静的である差異も、こちら側からそれに対して動けば出来事を発生し得る。
3 傍系エネルギーの随伴。刺激が差異である以上、そこからエネルギーは期待できない。エネルギーは反応者の内にある。これは通常、新陳代謝によって得られるものである。
4 次に、因果がリカーシブ(またはそれ以上に複雑な)連鎖をなす。
5 メッセージはすべてコード化されている。
6 最後に、もっとも肝腎なものとして、論理階型という事実がある

p292 L11-
リストは、それだけみれば、ボテボテとして実に下品なもんだ。ガサツな問いへの野卑な答えというか、野卑な質問へのガサツな答えというか。しかし私はそこから、“二重記述”と“構造対プロセス”の問題と二重のストカスティック・システムの議論を展開していった。この本にいくらかでも優美さが備わっているとすれば、それはそこまで論を広げていくことができたからだろう。
ーそして次の本は?
天使を降りるをはばかるところとはどこか、その領域を地図にするところから始まる。
ー野卑な地図ってわけね。
まあね。しかしその地図の次に何がくるか、その地図を囲い込む、もっと大きくてもっと難しい問題とは何か、それがまだわからんのだよ。



誤解を恐れずにいうと、それは宗教だなぁ、と思う。
構造とプロセス、科学と美の折衷地点。
メディアアート(とよばれるインタラクティブアート)はその地点を志向できるはずだったのに、いつの間にあきらめムードになってしまったのだろうか。
ただの入力→出力ガジェットのバリエーションではだめなのだ。