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どこまでがイメージか  

 ☆   と   →   と   A  
 
なにが「記号」で
なにが「イメージ」で
なにが「文字」で
 
そのあたり、わからなくなってしまいました。



以前紹介した「文字のないレシピ課題」を合評しました。

『目の前の材料と対応付けするための記号として使うなら、
 アルファベットの「A」は "文字" ではなく
 ★や●などと同じ "区別のための記号" なのか?』
という問題に端を発した、ゲシュタルト崩壊


合評中、
「え、ABCを使っちゃいけないんですか?」
 と言われて
「いいけど、、、。だめ。厳密にはいいけど」
と言ったきり、しばし絶句してしまった。


レシピに「文字を使ってはいけない」という制約をつけたのはいいが、私の中の「文字」の閾値が一瞬揺らいだのだ。
課題を扱う上で、『文字』という言葉における「記号」と「言葉」という側面を、曖昧に扱っていたのだと反省する。


はいはい、ソシュールソシュール。と、私自身は分かっていたつもりでも、課題の説明の際にその意図が上手く説明出来ていなかったのなら、この課題の意味が薄れてしまう。
ひどく落ち込む。




"言葉を使わずに説明する"  と  "記号を使わずに説明する"
前者は努力すれば可能だが、後者は「説明」という概念が成り立たない。
「地図化・記号化」が「説明する」というのと同義だからだ。



アルファベット単体を使うという事は、アルファベットを知っている人に対して、順列を表現するという機能を持つ。(アドレス帳やあいうえお順)



個人的な感覚:
何故「→」は許して「A」がダメだと直観的に思ったのだろう。
アルファベット単体に表象されるものと、「→」だったら、充分「→」のほうが形状の持つ表象度としては重い。


私は、●▲■みたいに、アルファベットを"形状の差異"として見る事ができない。
これは個人的な感覚に依存する難しい問題だ。
文化文脈性格等で随分違うものだろう。



以上、はじまりの記号論でした(苦笑)



こっそり:むしろ、私の思っていた「イメージ」は、とても言語に近いものだという事も発見する。
でも本当に見つけたいのは、その外側にあるイメージ。