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そして到達!ルードルフ・カスナーへ。

ルードルフ・カスナーの『メランコリア

メランコリア (叢書・ウニベルシタス)

メランコリア (叢書・ウニベルシタス)

想像力について/メランコリーについて
これはひさしぶりにヒット。おびただしい数の過去の書物に囲まれた小さな机にうずくまり、私はうめき声をあげながら読み進めました。うぅーっ。

解説より P366 L14-
「節度」:自分を、他を標準にしてではなく、自分自身で測ること(messen)である。それは自分自身と合一(einig sein; EINIGKEIT)していることの意である。つまり自己同一体であることである、このことが節度(Ma shのギリシア文字)なのだ。この節度のうちに偉大さがある、またはこの節度ゆえに偉大なのだ。



書庫にあるはずなのに無かった(残念)

十九世紀―表現と大きさ

十九世紀―表現と大きさ

http://www.michitani.com/books/ISBN4-89642-035-7.html

孤独に生き、孤独に死んだカスナーの文明批評。
本書はいわゆる学術論文ではない。学術論文というものが、客観と論証に立脚した叙述形態だと言うことができるとすれば、本書においてはそういう形態自体が、十九世紀的現象として問題になっている。カスナーの叙述は、論証ではなく着想であり、解明よりは洞察である。事柄のたんなる内容ではなく、むしろ形式としての内容の追求である。したがって従来の論述に囚われた読者は、本書に特有の言語表現や用語法に戸惑われる場合もあるだろう。しかしここではいわゆる客観性をこととした事柄の論証が問題なのではなく、言うなればヨーロッパ十九世紀が無視してきた魂の領域への喚起がむしろ問題なのだということに留意していただきたい。……全体は八章から成っている。しかしどの章も独立したいわば連作のごときものであり、同じ主題が異なった視野のもとに現れつつ、しだいに「十九世紀」の全貌が見えてくるという体裁をとっている。(「解説」より)




その他ルードルフ・カスナーRudolf Kassner についての情報

「エムベドクレス」 Empedokles
Tr:須永恒雄(Tsuneo Sunaga) 国書刊行会(Kokusho Kankohkai)
Ed:池内紀(Osamu Ikeuchi) ドイツの世紀末1

ユリアン」 Julian
Tr:円子修平 集英社(ShueiSha)/現代の世界文学
Ed:川村二郎(Jiro Kawamura) Moderne Deutche Erzahlungen


from http://homepage1.nifty.com/ta/sfk/kassner.htm

『魂の神話・ナルチス』 国文社

魂の神話/ナルチス

魂の神話/ナルチス

概要:プラトンへの傾倒から出発し、象徴主義的・神秘主義的な立場から独自の「観想学」を樹立し、ホフマンスタールリルケと親交を持ち、『メランコリア』などの作品で知られるカスナーの「魂の神話」「ナルチス」「癩者」を収める
from http://www.kokubunsha.co.jp/archives/ISBN4-7720-0072-0.html




memo:
http://de.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Kassner
リルケとの親交
観相学 
・様式と顔貌—スイフトゴーゴリカフカ
プラトン主義、詩、そして形式