小学五年生のころ、放送委員会に入っていた。
放送委員会には"下校の音楽(ほたるの光)"を校内放送するという仕事があって、五時間目までしか無い日でも、六時間目の終わりに流さないといけない。というイレギュラーな日があって、一時間、放送室で待機することになっていた。
確か、秋のころ、今くらいだったのかもしれない。
ちょっとヤンチャしてた女の子と、まぁまぁ格好良くてひょうきんな男の子と、面白くないちびまるこちゃんみたいな地味な私と、あともうひとり、静かな男の子四人が担当になった日。
静かなほうの男の子がいっしゅん席をはずしたとき、ヤンチャな女の子が言った。「ねえねえ、わたしたちだけ幽霊がみえてるってことにしてあの子をドッキリにかけようよ」「ええなぁ!」
私は、あんまりいい思いつきじゃないなぁとおもったけれど、「わかった、」と、場のノリでしたがってしまった。
その子が戻ってきてしばらくして、ヤンチャな子がすこし意地悪な笑みと目線をこちらに送ってから、窓の外を指して言う、「ねえ、あの、校庭の奥のほうの森の下に、なんかいない?」
「え?なにゆうてんの わ、わ、ホンマや」とひょうきんな子。
「ほら、あんた(私)もみえるやんな?」
「え、そう言われればそんな気も...」と私も乗っかってしまった。
静かな男の子も、一生懸命窓の外をみていたけど、本当はいないんだから見える訳がない。
その子は目を曇らせて、黙ってしまった。
「ちょっと見に行ってみようや!」「おう、まだ時間あるしな」
と、皆でその校庭の角まで歩いて行く。
「ほらー、おるてー、おるやん、わーめっちゃ恐あ!」「こっち見てるんちゃうん?!」どんどん煽る二人。
私も「ほんまや」などと、適当にあいづちをうっていた。
静かな男の子は、きょろきょろしながらしばらく黙っていたが、小さく「なんか、怖い、見えないけど、怖い」とつぶやいた。
私は、その声を聴いた瞬間、その場に本当に何か恐ろしいものがいるような気持ちになった。
底の底からこれは本当に恐ろしい というぞわぞわがわいてきて、あぁ、これはやってはいけないことだった。と気づいた。ただ、からかうだけのために幽霊が見えると嘘をついていたのに、本当に怖くなるなんて。
他の二人もそう感じたようだった。
「ぎゃー!」と叫びながらみんなで校舎まで逃げ出した。
今思うと、集団ヒステリーのようなものだったのかもしれない。
あの日、いるいない信じる信じない関係なく、浅はかな事をいうのは止めようと心に誓ったし、今でもそういう言葉からは距離を置きたいと思ってしまう。
そこで「本当にいる」とか「本当にある」って自分に言い聞かせて、引くことなく とことんまで行く人もいるんだろうけど、私にはそれは佳い事だとは思えない。
それはただの思いつき、それはただの願望、それはただの写像。
それはただの光。ただの現象。
ニーチェアンだったわたし(たち)は、容易に祈れないのだから、
光や現象に、ボリュームをもたせないで世界を把握する術をもたねば。
美術をやろう、と決めたのは、あのときだったのかもしれないなって、今、ふと、そう思った。
なんでも象徴的に認知してしまう自分の甘えと戦う決意だったのかもね。
以上、オチなし!