何も共有していない者たちの共同体
完読。電車内で泣く(ちょっぴりね!)。
他者に向けて、自らのすべての持ち物や言葉や行動や価値を"共有可能な状態"にしても交換不可能な本質としての"私"がありうるという、あまりに弱い足場に立つための強い支えとなってくれた気がする。

- 作者: アルフォンソ・リンギス,野谷啓二
- 出版社/メーカー: 洛北出版
- 発売日: 2006/02
- メディア: 単行本
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見返りを期待しない"贈与"としてのコミュニケーション
贈与_個々人の"代替不可能性(単独性)"_死 の関連
物質的なものであれ精神的なものであれ、返礼や負債が発生する場合には、「贈与」は成立しない。そして、もし「贈与」という語に慈愛・寛大さといった《善性》が含意されているならば、「贈与」はそれとして意識されるだけで、贈与者に何らかの感情(満足など)をもたらし、受贈者に負債や感謝といった感情をもたらすことになる。つまりそこには、象徴的な「交換」が成立していることになる。だから、「贈与」が存在するためには、「贈与者」の痕跡を抹消すると同時に、受贈者を「受贈者」たらしめる「受け取った」という事実も忘却されなければならない。
P258 解説2より 堀田義太郎さんの文章
ついに、デリダ アガンベン ナンシーに突入か?
哲学の初歩初歩から初めて、結構時間がかかったなぁ。今ならデリダも(本当の意味で)読める。
それにしても、シティボーイズの舞台の一つのコントを見た事を契機に、ここまで思考が進むとは、ブンガク恐るべし。そして私は完璧に文学的なものの中からしか思考できないという事を実感した。
契機:http://d.hatena.ne.jp/rokaz/20060511#p1
思考の発端:http://d.hatena.ne.jp/rokaz/20060512#p1