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京都アートウォークにいってきた

京都アートウォーク http://www.kyotoartwalk.org/


起きたら二時。いかん、このままでは生ライプを見逃す。何も食べずに清水寺へ向かう。
バスを降りてからの坂道、修学旅行生とアジア系の観光客にもまれてなかなか先に進めない。普段の運動不足がたたったのか、ふくらはぎが張る。ひーひー言いながら清水寺に到着。



西門を横目に、アートウォークとかかれた看板に導かれるまま進む。600円。まあ、普段は見られない小堀遠州の庭も見れるってことで、高いとは思わない。


まず、山元伸二という作家の屏風絵(?)を見る。
わきたつような煙と金箔による円。星かな?とにかく屏風が三セット釈迦三尊の前に置かれている。屏風と仏像。、、、しかしまぁ、釈迦如来像の方が気になる。陰影のある部屋で、空気が冷たい。外の修学旅行生の声も遠くにいってしまう。いろんな方向からしばらく眺める。
釈迦三尊の足下に屏風がかぶって台座が見えなかったのでちょっと不満。あとちょっと低ければ三尊とあわさってより良かったはずなのにな。



第一の目的作品、ハンス-クリスティアンベルグのオブジェへ向かう。
普段は公開してない成就院という場所で庭をのぞみながらの作品鑑賞。


まず作品より庭に目がいく。これまた素晴らしい。縁側から眺めると中央に、何とも言えない不思議な形をした岩がどんと置かれ、その周囲を取り巻く様に岩が配置されている。庭の垣を越えて遠く、隣の山の中央に石灯籠のようなものがあり、そこまでの遠近を含めたスケールの大きめな庭。


その手前に、テレビ石の原理を持つ大きなガラス(H200,W300くらいかな、サイズ感覚に自信なし)の作品。これは大きい。縁側から見るのとは違い、その作品を通して庭を見ると、自分の視線の先数十センチ分しか景色が見えない。
不思議な視覚体験です。見れて満足。


同じ部屋に、もう一組の作家ペテリ・ニスネン&トミ・グロンルンの作品。これは鳴る床を再現したインタラクティブ系作品。畳のある部分にのると、きゅい、きゅい、と音がする仕組み。かわいいけど、きゅんとはしなかった。でも悪くはない。


清水の舞台から飛び降りる真似でもしようかと思ったが、本日最大の目的、ライプの花粉作品は別の寺にあり、公開終了時間が迫っていた。
急ぎ移動。しようと思ったのだが、


(ここから余談。京都アートウォーク情報が読みたい人はここは飛ばしてもらっても結構)
ふと西門の脇をみると、「随求堂 胎内めぐり」という看板が。まっ暗な中を数珠を模した手すりにそって進み、その途中にある「光さす白い石」を触って願いを唱え、出てくる、という仕掛けもの。そのお堂の本尊「大随求菩薩」は母で、その胎内に入り、再度うまれてみましょう、ということらしい。一回百円。まっ暗な中を歩くというのが面白そうなので百円払って入ってみる。
私の前にカップルが一組はいっており、「やあだああこわああいいいい」「だいじょぶやって」と騒いでいる。まっ暗体験ちょっと台無し。もっと静かに感覚を開くために使えるのに、これではただのお化け屋敷。ちょっと俗っぽい気分になってしまい残念。まあ、観光客用のアレです。



気を取り直して、ライプの作品のある高台寺へ移動。
高台寺も入場料として600円。まあ、生ライプ生花粉だから。と思い、払う。
入場券を売っている人に「ライプの作品はどこにありますか?」と聞いたら「は?」と一瞬聞き返され、「ああ、海外の美術作家が展示をしているのを観に来たのですが」と言い直すと「あー、それなら一番奥の建物のとこですわ、そこでアートしてはります」と言われる。
おばちゃんのナイスなひとこと、「アートする」という動詞に笑いがこみ上げそうになるが我慢して道を進む。


ずんずん道を行く。行けども行けども、なかなかライプの作品がある傘邸まで着かない。


その過程の不満話。(ここは寺情報、美術作品に関係はなし)
ここは秀吉の嫁ねねのお墓のあるお寺。お洒落な庭と池、その中央に立てられた建物の地下に土葬されたねね。NHK大河のねねは沢口靖子だったので、彼女の顔ばかりが浮かぶ。
このお寺はなんか俗っぽい。本堂からのぞむ庭に、不思議な現代美術風の鉄オブジェがある。建物を自由な経路で進めず、順路通りにただ通り抜けるだけ。気ままに行けないのがちょっと不満。
建物に入る度に、若いアルバイト風の女の子がテープ録音みたいに解説をはじめる。急に話し始めるから心臓に悪い。この解説システムはあまり好ましくないなーと思い、ちょっとイジワル姐さんになってみる。解説している事以外を質問してみようと思ったのだ。
「(並ぶ像のうち、扉のしまったものを差し)あのー、この中央にはどなたがいらっしゃるのですか」
「あ、え、えと」と、ちょっと戸惑いながらも教えてくれました。なんだ、ちゃんといろんな質問に答えられるのなら、原稿を読むみたいに解説しなくても、ただ話しかけてくれるだけでいいのにな。



なかなか作品まで到着しない焦りと、寺のなんだかなぁという雰囲気でちょっと気分がダメな方向へ。でも、ここまで来て作品を見ずに帰るのはいけない、と思い、奮起して階段をあがってゆく。
すると、かなり侘びた細い道が見えて来た。あ、これは、かなり侘びだ、侘びだ、と足が軽くなっていく。婆娑羅で落ち込み、侘びで興奮するアンビバレンツな道行き。


ウォルフガング・ライプの作品は、傘邸という重文の茶室の中に展示されていた。
三畳くらいの超侘びた茶室の中に、ガラスの覆いをかけられた花粉の山ひとつ。その向かいに、ほんわりした白い石(とミルク)。ちんまりした展示だ。
ようやくの到着なので感慨深い。息を落ち着けてから、ゆっくり見る。


茶室の戸から覗く。残念ながら、茶室自体には入れないのだ。
ああ、花粉だなぁ。ああ、白いなぁ。当たり前の事をつぶやく。
ミルクストーンに関しては、石とミルクの差異は全く分からない。



ライプはその求道的な製作姿勢から、禅僧や茶人と共通項を感じずには居られないのだが、本人もそれを意識しているらしく、茶室にて展示するという事について、どちらも「時空を越えた普遍的なもの」というコメントを寄せていた。


それは、自分というものの適正なサイズの認識と、大きなものへの畏怖と祈りだ、と思う。奢らず、より慎み深く。私たちはその一部分を手折り、使わせてもらっているだけなのです。ううむ。


妙に深淵な気分に陥り、帰りの道すがら小さな森の中で急に座り込み、上の方を眺める。ああ、木漏れ日。鳥のはばたく音が大きく聞こえる。微風にさわさわ揺れる葉の影とか、そういうものをじーっと見る。
森の横にある竹林の、はるか上のほうにある笹が、何とも言えない風情で揺れる。スローモーションみたいだ。なんとかして記録したいと思うが、写真でも映像でも無理なのだ。そのまま座っている。


ライプは生で見られて感慨深かったが、結局、そのお寺では、森が一番良かった。



京都アートウォークに関しては、どこがどのような目的で行っている企画なのかが全然わからない。ウェブを見てもさっぱり。
さらに告知の状況が悪いので、京都の人もあまり知らないみたいだ。帰りにShin-biに立ち寄り、ライプみてきた話をしたら、そんなの知らなかったといわれた。ですよねー、私も昨日、チラシをもらうまで知りませんでした。
でも、作家のセレクトとか場所のチョイスとか、良いんですよ。「良い」というより「素晴らしい」の部類にはいると思うんですけど、いかんせん、謎が多いのですよね。


ということで、こうやってレポートを書く事で、ちょっとは広められるかなと思った訳です。
作品を生でみる体験を共有しておかないと、感想が話し合えないので寂しいのよ。
ということで、どなたか見に行った方がいらっしゃったら感想をお聞かせください。