◆NEWS :装幀してます 最近のお仕事は→仕事の記録 : Twitterから
◆NEWS:2007年3月、フリーランスのデザイナー兼ライターとして個人事務所を立ち上げました。

ビジュアログtumblr:http://okazawarina.tumblr.com/
つぶやきtwitter:http://twitter.com/rokaz
つぶやきログtwilog:http://twilog.org/rokaz

第千三十七夜

菅原教夫『日本の現代美術』
1995 丸善ブックス
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1037.html






千夜は、芸術シリーズが続きます。うーん、辛辣な意見がちらほら。リトルボーイ展について言ってるのかな?
日本の現代美術を擁護したい、美術に愛があるから。でも、かばいきれなくなっているのも実情。
私はどんな作品を作ろうか。



・外国人が見る日本の現代美術に対する典型的な賛否両論
・墨人会/江口草玄/あきらかに海外の目が漢字を書かせた

たしかに日本画は顔料から筆にいたるまで、用具用材が油絵とは異なっている。しかし、彫刻はどうか。木工や金工はどうか。東も西も変わらない。インスタレーションはどうか。メディアアートはどうか。そこにもなお和洋を峻別できるのか。

・「反芸術」あるいは「反哲学」
・心敬や長次郎や宣長や梅園と対決した現代美術にはとんとお目にかからない。
 (あー、梅園と対決してみたい!)

だから、わが現代美術はそういう「反芸術・反哲学」のよそおいだけはもっているものの、それよりずっと関心を向けているのは「社会における現代芸術一般のありかた」や「身体にひそむ社会的な腐食の提示」のようなものなのではないかと思われる。
むろん例外はいる。たとえば菅木志雄や李禹煥や黒田アキはその一人であろう。けれども、ぼくが知るかぎりはそのような例外はあまり多くない。多くはその発言も文章も(日本のアーティストはめったに文章を書かないけれど)、思想のレベルでみればたいしたことはメッセージしていない。どちらかというと、日本のアーティストは「生きる」とか「実感する」とか、あるいは「社会とのかかわり」とか「自然との対話」といった、とくにアーティストでなくとも感じていることを重視する。

それは、日本人が「生きて」いたり「実感して」いたりしないからではないかと思う。。。


アーティストは思想レベルでの発言をすべきだというのが是か否か、判断保留にしたいところ。
あえてそれをしないのと、それをすることをしらないのと、どうやって判別がつくというのか!そしてだれが享受するというのか!
日本には、鑑賞者/享受者(読者)がいないのです。いや、それはむしろ近代的な問題かもしれない。
美術の中にも、数限りない分類があって、まずはその分類をすべてあたり、そこにはない新たな分類を作成することを求められる。それは苦行だわ。。。