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第千三十五夜

パウル・クレー『造形思考』上・下 1973 新潮社
Paul Klee : Das Bildneische Denken 1956
土方定一・菊盛英夫・坂崎乙郎
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1035.html





「見えるもの」と「見えるようにすること」のあいだにある出来事

イメージそのものに実はなんらかの分節が内在していたとは言えないだろうか。分節とは、イメージがその内側に潜在させていた何かの動向だとはいえまいか。イメージの本質が分節なのである。クレーはそう考えたのだ。

うわあ!めっちゃよくわかる!今考えている事がそのまま紹介されている感じで驚きました。
そうか、クレーはすでにこんなことはわかりきっていたという事なのですね。(しょんぼり。)
「空間的有機体への確信」「分節の法則」というキーワードで、すんなり理解できました。
ただし、これを私なりの方法で分節:言語化(もしくはオブジェ化)しなくてはいけないのですね。
でもよかった、私はそんなに間違った道を歩いていないと確信できました。


でも

クレーの線は、人類の原型的な分節思考がとどめた記憶を引きずり出した

この部分に関しては、よくわかりません。
先天的なものという意味なのか後天的なものという意味なのか。
原型的な分節思考ってあるのかな、、、。むにゃむにゃ。


気になる部分Memo

クレーがそのバウハウスで方法の魂を傾けたこととは、造形(フォルム)にとって最も重要なこととは、「分節」ということなのである。アーティキュレーションだ。
第1032夜にのべておいたように、アーティキュレーションとはバロック期までの声楽および器楽のための音楽用語でもある。むろん言語学用語でもあって、かつて言葉と音楽が蜜月的照応関係をもっていたころ、アーティキュレーションはすべての表現の鍵を担っていた。クレーはそれを持ち出した。

第1032夜ーhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1032.html