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嫌儲とかいうけど…

文化的価値を創出/提示する分野における"プロフェッショナル"って"阿羅漢"と似てるなぁとおもう。

悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人。


あらかん - WikiDharma



美術をやっている私の友人や知り合いは、『人並みに生きるための衣・食・住に必要な最低限の物もしくはお金があればそれで良い』と思っている人が多いなぁと感じる。
ただし、『人並み』っていう基準がそれぞれ違うだけで…。
儲けたいとは思わないけど、儲けなくてもいいとか、儲けたくないとも思ってない。


良いものを観ないと良いものは作れないし、良いものを食べないと良いものはつくれない。
確かにそれは真理かな、と私は思う。
だから、そのためのお金は必要だ。だって資本主義社会なんだもん。


『良いもの見せてもらったなぁ…』と思ったら、そのときお金を渡すと良いと思う。
"贈与に対する感謝の表現"という本来の意味で言えば、多分お金じゃなくてもいいと思う。家で取れた野菜とかでもOK。
でも、世界はこんな感じで、『良いもの』という基準はひとそれぞれ違うから、お金を払うと良いと思う。だって資本主義社会なんだもん。



多分、"事前にお金を払うシステム"に問題があるのだと思う。
例えば、映画の場合『あっ、私これダメだ』と思ってもすでにチケット代を払ってしまってるあの気持ち、、、。ジャケ買い失敗したCDみたいなあの気持ち…。
じゃあ映画鑑賞費は広告費や映画館施設利用料なのかって思えてきちゃう。
本当は作品で享受した物に対して代金を支払いたいのに、一律に同じ方法で料金をとるからはぐれてしまう。


たしかに設備や興行や運営に必要なお金が必要なのは理解できるんだ。
じゃあ例えば、映画館に入る際に、まず入場料として施設維持や広告費等を払う。というのはどうだろうか。
入場料を払う。それから作品を見る。で、帰りに見た作品の料金を払う。別にドネーションという感覚ではなく、料金として。必要な分の金額を言ってもらえば良い、定額でかまわない。
でも、こうやって切り分ければ、今よりも、もう少しましな作品との付き合い方が見えてくるんじゃないかな。
(今、ふと思ったんだけど、途中で席を立ったら減額とかアリかも?)
純粋に作品に対して良い悪いが発言しやすくなるし、純粋に"作品の価値"にいくら支払われているのが明確に見えるのが良いと思う(というか、作品以外にどれくらいお金がかかっているのかがわかるという効果のが大きいか)


ギャラリーでの展示や美術館での展覧会も同様に、施設入場・利用料と、鑑賞料を分けてみればいい。
貸画廊で作品販売を目的とするショウケースとして使われている場合も、入る時に施設入場料は別途で取れば良いと思う。
それで更に、その作品が欲しい場合はその金額を払えば良い。
もしそこで入場のための金を取るなんて考えられない(作品出す側)/お金を払いたくない(価値受ける側)と思える作家の場合は、プロフェッショナルじゃないんだと思う。
その場合は、タダで入ってみてもらうなりすればいい。ただし、施設使用料は"作品を出す人"持ちだ。それでも展示したい人は、それなりの根性があるはずなのだから(セミ・プロとでも呼べるか)、ドネーションを募れば良い。もしかしたら「いいな」と思ってくれる人がいて、施設使用料を一部助けてくれるかもしれない。
こうやって、お金を二段階にすると、曖昧なゾーンも補完できる。
プロフェッショナルという域も明確になる。


加えて、作る人とディストリビュータをしっかりと分ける効果があるし、エンタテインメントと芸術表現の区分けをはっきりさせるという効果もあると思う。


どうかな?