◆NEWS :装幀してます 最近のお仕事は→仕事の記録 : Twitterから
◆NEWS:2007年3月、フリーランスのデザイナー兼ライターとして個人事務所を立ち上げました。

ビジュアログtumblr:http://okazawarina.tumblr.com/
つぶやきtwitter:http://twitter.com/rokaz
つぶやきログtwilog:http://twilog.org/rokaz

物質でアンカーをうつ

昨日友達とご飯を食べながら話していた時、同世代的な感覚として「緩やかな連帯感は確実にあるよね」という話題になる。
あと、同じような倦怠感と恐怖と楽観的な側面を感じていることも知る。
特に、今私の住んでいる地域のさらに「ギョーカイ」と呼ばれる領域について:世間が狭すぎること、突出したくないこと、一度マイナス評価がついたら雪だるま式に落ちて戻ってこられないという恐怖感、誰かが中心になってムーブメントを作ってくれないかなとみんなが考えていること、などなど。
あと、出身校:iamasのタグで、対外的には"テクノロジーアート的"な印象が抱かれているけれど、いまのところ卒業生のネットワークを見ると、やっている事は千差万別、純粋無垢から海千山千まで、定まったものが無い事は、実は混沌を生む良い温床なのかな、とか。
面白い議題が出ました。


「まぁ『スタンドアロン・コンプレックス』ですよ」って言われて「イエスww」って言いかけたけど寸でのところでこらえた。アニメに本気のオブセッションを抱くなんて私たちもアレですね、なんて言いながらも、結構リアルなモチーフだし、使いやすい言葉だな、と思う。


そんな話の中で、『S.A.Cはアニメーション表現のうえではあれでよいが、実際私たちの生きている(と思っている)この世界でS.A.Cという現象を掴むgraspには、手に取れる物質的な"記念碑"が必要なんじゃないか』という自分の発言について振り返って考えている。
(概要)ただ単に同時代的にひっそり何かをやり取りし合っているだけでいいならそれでもいいけれど、私たちは曲がりなりにもアートの文脈に身を置いているのだから、それを取り扱わない事には先に進まないんじゃないかと思うのよ。
ライフログとか、公開された場での討論とか、交換日記的なものとか、そういう文字データをネット上に流して残す事はとっても大事だと思う。だけど、そのデータを「手に取れる物質的な"記念碑"」といえるかどうかギリギリ。
もう少し、本当のオブジェクト(物質)で今現在の状況にアンカーをうつようにしたほうが良いと思うな。


だからといって、具体的にそれが何かはまだぼんやりしているけれど、最近の私からはこういう発言が増えているなぁという実感はあるので、関心がそういうことに向いているんだろうなぁと思う。



memo:
インタラクティブになるには、媒介としての物質がいるのか。
密教の道具とか魔法の薬とかを考えると、それは記号的なものを利用するという事なんだろうか。
だけど、記号を使うと魔導師になっちゃうから、一歩手前でいろいろ観察してみよう。