熊倉功夫『後水尾院』
1982 朝日新聞社
◆http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1046.html
寛永元年(1624)。はぁ、私には不勉強な時代、今日も引用ばかりですが、もう少し余裕ができたら勉強しますので、、、。
文武・公武の多くの領域で新たな「型」を確立しようとした者たちがひしめいて並んでいたことを知る。「型」をつくるには、その前に「型破り」もしておかなければならなかった。寛永とはそういう時代なのである。
ふむ、利休のあと、、、離してまた守。
後水尾ほどに生涯を通して「時代」と「文化」の体現を迫られた人物はいなかった。
・後水尾は青年天皇(すぐに院へ)
・後水尾は修学院離宮を造営した
・後水尾の二条城行幸(二条に閉じ込められたわけね)
・後水尾院の禁中大立花(閉じ込められた中で派手に華をやってたわけね)
・後水尾院は「和学」の復興にも傾注した
和歌はプロ中のプロ/言葉の"綾"に異常に執着している
「蜘蛛手」!!!!!!これヤバい。(図に関しては千夜ページを参照してください
これらすべて今住んでいる家の近くの話なので、そういえば、大きな池坊のビルがあるわあ、とか、そういう感じで面白く読めました。