最近、イメージについてわかってきたことがある。
イメージは、期待であるということ。
そこにあるものが実像であろうと、虚像であろうと、私たちがそこにみているのは、そのものではなく、「取りこぼしそうな」、「あやうい」、「何かが、ありそうな、なさそうな」、「まちわびる」、「期待」そんな感じ。
「〜であろう」「〜であれば良いのに」のスイッチを開くトリガーとしてのイメージには、記号も文字も関係を持たない独自のゾーンがあって、それこそが表現行為(もしくは情報伝達行為)に力を与える。
この感じがようやく体感できてきた今日この頃。
頭と身体が引っ付いてきた感じがする。
前衛だの何だのと、「じぶんじぶん」と主張のうるさい声がまして来た世の中ですが、そんなのはどうでもいい。
イメージはつくったひとにもみるひとにも所属しない。
そしてイメージ自体は崇高なものではない。