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第千七十九夜

アフォーダンス佐々木正人
1994岩波書店


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1079.html
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以下、抜粋とその理由。

何かの動向を時々刻々の情報としてナビゲーションできるということは、その動向と知覚の「あいだ」にもともとナビゲーション・システム(あるいはメタナビゲーション・システム)ともいうべき何かがひそんでいたとも言えるのだが、もしそれを取り出すことができるなら、かなり重要な情報システム理論のモデルがそこに見えてくるだろうからである。

これ、このあいだ夜な夜な友人と話したことそのままだ、と思い当たる。
さらに、それを利用して、状況を意図的に操作することも可能だよね、とも。


ナビゲーション・システムを探る方法として、儀式的なものを追えば可能だと言う友人と、それは個人によって違うのではないかという私の平行線の雑談。
情報という観点で見ればそこに大きな差はないが、それによってこちらのつくるものが違うのだから大変な問題だ。
西洋の魔術と、東洋の悟りの違いのように。


こころにうかぶイメージとしては、情報の素がうごめくカオスをゆるやかにとりまく、あるベクトルをもった矢印のようなものなんだけど、、、。
なぜベクトルのような矢印を感じるのかはわからない。ゆるくまとまった情報を牽引する力が必要なんじゃないかなと思うからなんだけど、、、。

アフォーダンス理論が、いずれ言葉や行動をふくむ「意味」や「文脈」の問題に食い入っていくことは、そんなに遠くないかもしれない。

そうか、そうなれば私の中で枯れかけていた「アフォーダンス」という単語がみずみずしく甦る。
研究が無理なら、予感を具現化すればよいだけのことか。

もっと大きな収穫があるとすれば、アフォーダンスが「価値」の問題と結びついていったときだろう。結局、すべての理論はわれわれにとって「価値とは何か」をめぐっているものだけれど、これまでは、環境と対象と道具と知覚とを一貫してつなげる価値がどのようにして説明できるのか、その理論を欠いてきた。アフォーダンス理論がそれを充当させるとはいいきれないのだが、そのような相互の価値観をつなげるコンシステンシーに有効な橋渡しをすることなら期待できるようにも思われる。

こうやって明言されていると、とても勇気が湧きます。間違った方向には進んでいないのだなぁと。
言語化していない考え事が多いから鬱々とするのですね。
あー、研究がしたい。



(おまけ)
1052夜から追走日記がストップしていますが、ゆるやかに再開する元気がわいてきました。
ここからは更新ごとに追走し、そして追いきれていない空白部分は、随時さかのぼり補完をしたいと思っています。