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第千二十四夜

オスヴァルト・シュペングラー『西洋の没落』1・2
1972 五月書房村松正俊訳
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1024.html






MEMO:
「歴史の運命」「死んだ形態を認識する方法には数学は有効だが、生きた形態を理解するには類推こそが有効だ」

そもそもこの大作の第1行目には、こう書かれている、「歴史を前もって定めようという試みがなされたのは、本書がはじめてである」。あまりに大胆な文句であり、大それた自信である。しかし、こんな規定が歴史にあてはまるとは誰も思わない。
 歴史にも予定調和がありうるというようなことくらいなら、すでにライプニッツの時代から何度も暗示されてきた。けれども、そのことを実証して歴史を解読しなおすという試みは、誰も手をつけない。経済学におけるコンドラチェフの周期や回帰予想のように、統計学による推定ならありうることだった。けれどもシュペングラーは「意味」における歴史実証を試みたのだ。誰も思わないことで誰も手をつけなかったことを、シュペングラーは仕出かしたのである。当然に学界はそっぽを向き、一般読者はよろこんだ。たしかに「反歴史学」めいている。が、それはまだ聞こえがいいほうで、ようするにこんな歴史書はありえないという痛罵が投げつけられたのだった。