◆http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0784.html
ひとつは、読書というもの、なんともふつつかなものだということですね。これはこれまでもいやというほど体験してきたことだった。もうひとつのオチは、感動は何度も再生してみなければ何にもならないということ、である。西脇順三郎はこの二つ目のオチをしばしば「エピファニー」(顕現)とよんでいた。
芭蕉でいえば、こうなりますか。「よくみれば なづな花さく 垣根かな」。西脇順三郎って芭蕉だったんだ。
そういうことですよね、セイゴオ先生。私、大興奮です。
エピファニーの説明文として『感動は何度も再生してみなければ何にもならない』とは良い一文です。メモしておこう。
西脇順三郎の「雑談の夜明け」が読みたくなったので購入しようとサーチしたらもう新本では買えないのね。紫式部でサーチしたら2200円とかになってるし。ひえっ、元値よりも高くなっている。でもAmazonのマーケットで無事1000円で購入。
それにしても「よくみれば なづな花さく 垣根かな」芭蕉 って、いい歌やね。
ふつつか(不束)…この場合は「大雑把」の意。