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そもそも「無限」からはじまっていた問題意識

去年のエントリ:理系の弟妹、文系の私|無限論の入口で
http://d.hatena.ne.jp/rokaz/20050111#p3

この日記ブログにおけるキーワード「無限」検索結果:
http://d.hatena.ne.jp/rokaz/searchdiary?word=%CC%B5%B8%C2

私が出すどんな数列の問題も、その簡単な記述法が必ずいくつかあるだろうが、簡潔であることを重んじなければ、その記述法は実に無限にあるのだと。(Gベイトソン 精神と自然?生きた世界の認識論 P37)

エドゥアール・グリッサンの『「関係」の詩学』 目次より
5、詩学 ありつつあるもの、その実質において無限の多様
     一般化
     なくありつつあるもの
     不透明性のために
     開かれた円環、生きられた関係
     燃える砂浜

さらにグリッサン「量化できる無限」

極めつけ、の「すごい夢」
http://d.hatena.ne.jp/rokaz/20051018#p4


(今書いてる、すごすぎて上手く書けない)
有限と無限の切り替わる瞬間を体験しました(夢で)。
それはある種宗教的な感覚にも似て、あの世的な世界を垣間見ました(夢で)。
多分、寝る前に、トポロジーの解説本を読んでいたからなんだけれども。
有限の世界から無限に入る直前は、自分の身体がえらくひらべったくなった感覚で、まるでカレンダーをずるずるパスタマシーンに通すような感じがしました。
切り替わる瞬間は意外とあっけなくて、でも遠い意識の中で「神様て概念はこういうところに宿るんだろうな」と思いました。
無限の世界は延々と二次元で、ああもうこんなのなら有限のが良かったという話になり、また緩やかに有限の世界にシフトしていき、この世界は有限と無限を行ったり来たりしてるんだよ、という。
分かったような分からなかったようなおはなし。