◆http://homepage2.nifty.com/officesasaki/tati/tati.html
タチ本を作っているらしい人のサイト。日本におけるタチのサイトの中ではかなり情報量もクオリティも高いのではないでしょうか。
◆http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0892.html
ほとんどの映像作家はその人物としての実像を超えて「映画という世界」を作っていた。むろんそれで正しいのである。
ところがタチにおいては、実像と映画がすっかり地続きだ。そこに門がない。溝がない。背広に着替えるということがない。最初から門を出て歩いているし、最初から帽子をかぶってパイプを咥えている。まるでベッドでもその恰好で寝ていたというふうなのだ。つまりはどこにいても、どんなときもぼくの伯父さんなのだ。
タチと映画の世界が地続きであるだけでなく、映画の中のさまざまな人物と物品も地続きだ。名作中の名作『ぼくの伯父さん』(1958)では、家と道具と登場人物がことごとくひとつながりだった。あの映画には変てこりんな超モダンな家が出てくるのだが、その家のドアも敷石もベルも噴水もガレージも、みんな「声」をもち、みんな「喋っていた」。
ようするにタチは「あること」だけを描き続けたわけなのだ。その「あること」というのは、「こういうことがおこったらおもしろいはずなのに」という、その「なのに」である。ともかく「なのに」「なのに」のぼくの伯父さんだった。この「なのに」が万歳だ。
タチはだから、映画を作っているというより、いつもオーディオ・ヴィジュアルな体験を作っていると自分では考えていたようだ。だからタチは「私は外部世界に反対する」とも言っていた