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二項対立を一度解消するには:芸術劇場でやってるお芝居で考えた

F1見終わって、チャンネルをぽちぽち変えてたら、芸術劇場で白塗りの女性と黄塗り(?)の橋爪功が出ていて手を止めた。エンディング近くだった。
「世の中に善と悪はない、ないとしよう、でも美しいものと醜いものはあるんだよ、そして私は醜いものが大嫌いなんだ!」という台詞(うろ覚え)。
うーん、やっぱり世の中はこういうふうに進んでるんだなぁ。
と思った。でも、何が?根拠は?、、、まだ言葉にできないけど、わりと多くの人は気づいている事だと思います。


私は去年あたりから、「美しい」ものしか作りたくないなぁ、なんて、なんとなく思っていた。(今もそう思っている)
「美しい」への流れ。http://www.gallery-shiraishi.co.jp/senju/氏の人間講座はその流れの決定打だったと、ふと思う。「ああ、ついに、大人が公言したんだ」と思っていた。


『美しい』というキーワードが入っている本が売れる。直島の新しい美術館にはモネが飾られる。
今のところ、J.タレルだけが注目に値する、なんて思ってしまうのは私の思い込み、だけではなかろう。(自信なし、汗)


でもさぁ、「美しい」だって結局は、個人的なものですから。でも「美しい」の構造に、「他者」が存在するということが理解できて、はじめて価値があると思うのです。


それを知らずにいる人を、もう少し引き上げていかないと、ただ「きれーだねぇ」と、お仕着せの「美」を受け身(享受する)の層が登場しますよ。(登場、というか、もう結構いるのかも。)
そしたら、「美しい」の意味がいくつかの層のようにわかれてしまうような気がする。せっかく次を見ようと思うのに、前の仕組みに戻ってしまう。
(、、、ここ日本語になってない、感覚人間な私、、、もうちょっとがんばります(汗))


続けます。


ねえ、「美しい」はその都度生成されるものなんだ。
慎重に、目を凝らし、耳を澄まし、身体を開いて受け止めるものなんだ。
でも、「美しい」を瞬発力で判断し続けていると、だんだんニューロンの通り道にクセがついてきて、同じような刺激を受けると同じ反応を示す、いわゆる惰性の判断になってくる。


お仕着せの価値観や惰性の判断は「美しい」にとって、あまり好ましいものではない。
今の日本における美術は、この穴の中に落ちていないか?
そこんとこ、だれかはっきり言ってくれないと、どんどん自己中心的で殻に閉じこもる、タマゴだらけの世界になるよ。


ちなみに、美しいと醜いとは対照的なモノではない。
ニ項対立的な思考を一度解消しよう。
全部を止める必要はない。二つを突き合わせる時に、戦わせるのではなく新しい関係性を見つけるようにすればいいと思う。
私は、醜いモノがつくりたくない、なんて、みじんにも思ってないんだ!!



http://www.en21.co.jp/kyoukafuryu.html

舞台中継・演劇集団円公演“鏡花万華鏡風流線”泉鏡花・原作、橋爪功ほか▽善と悪、美と醜が渦巻く鏡花の一大ピカレスクロマンの舞台化▽2004年7月東京・紀伊国屋ホール(録画)
22:00 芸術劇場 (NHK教育)