今日は、大学の入学式に出て来ました。
晴れて日差しも心持ち暖かく、良い日となりました。
新学期。これからまた授業がはじまる。
もう8年目に入る非常勤講師生活。ぐるぐるとめぐる螺旋の季節は、またスタート地点に入ります。
新入生たちのキラキラした目、これからの生活への期待に赤らみ膨らむ頬を見ていると、私はこれからどのように過ごして行けば良いのか、思いを馳せずにはいられませんでした。
8年間ずっと同じ授業をもっているので、また同じレジュメで同じ事を、新しい学生に伝えていく。経年による技術的背景の変化は多少あれど、授業は基礎的な項目なのであまり変わらない。
でも、あれ? そうかな?そうなのかな?
これからはじまる普段は、これまでの普段なのかな。それでいいのかな?
なんとなく日常という語義で使っている"普段"は、いずれ歴史と呼ばれる長い時間にとっては、ずっとずっと絶えない終わらないという"不断"という言葉に繋がるのであって、"普段"とは、いつもと変わらないという意味ではなく、終わらせないということなんだな。と気付く。
絶えないこと/絶やさない事を考える事が、"普段通りに過ごす"ということ。
私が大学で教えている事が、未来をつくるひとが育つ手伝いになっているのなら…。きっちりと基本の基本から話していかねば。
連綿と続く、"ものをつくる"という行為の美徳と弱点をしっかりと伝えることが、私にとっての新しい普段になるのなら、それがいかにしんどいことでも、ちゃんとやって行かないといけない。
わたしは何を甘えていたんだろう。しっかりしよう。