◆NEWS :装幀してます 最近のお仕事は→仕事の記録 : Twitterから
◆NEWS:2007年3月、フリーランスのデザイナー兼ライターとして個人事務所を立ち上げました。

ビジュアログtumblr:http://okazawarina.tumblr.com/
つぶやきtwitter:http://twitter.com/rokaz
つぶやきログtwilog:http://twilog.org/rokaz

成る

私はちょっと前、チェスにかなり入れ込んでいて、自分のセットを作ろうとおもって、駒を自作したりしていたのですけれど、最近は将棋のほうが好きかも…と思っています。


今日、授業の合間、友達とランチしながら話し込んでいて、ふと将棋とチェスの話になったのです。
たしか"物語"に関しての対話から連想が広がって、将棋とチェスの違いについての話になったんだと思うけれど、そこで『今はチェスでは駄目なんだ、将棋なんだよ』と熱弁を振るった私。(なぜか見てもいないアリス・イン・ワンダーランドに話は飛び火し、軽く批判。絶対やぶへびw)なんで駄目なのかというと「成れないから」です。



将棋って、成る ことができるのが面白いですよね。さらには、成らないという選択もできる。
たとえば"歩兵"が"と金"に成る事によって(もしくは成らないことによって)盤面にじわっと変化が起こるあの感じが、チェスとは違うところですよね。
(とはいえ、チェスもPawnのみ"プロモーション"という成りに相当するものがあるのですが…)
成りは、盤面の読み次第で局面の見え方が変化するのとは、少し違う変化というか…。駒反転して状況がかわる。この感じが大事というか…。(上手く言えてないな、今はこれ以上無理だけど)


なにか自分の考えていることに、この将棋というものをあてこんでみると、いろいろ面白い事が分かったりする事もあるかもね。



面白かった話として、成れない駒の代表格である 王将 は、実は "Void" で、王将をはずした盤面でエンドレス遊戯をするという遊びの可能性もありうるよね。という想定に盛り上がった。
確かに、王将というものが"Void"であるというのは直感的に正しいように思った。
もしくは、"Void"だけど、一応無いとな…という理由で現状の王将は王将たりえているのかも。。。わお。


プログラムにおける"Void"には、"カラッポの器"というような意味、もしくは"濃密な全てを含む"というような意味という、いくつかの見え方があって、濃密な方のVoidというものを作った場合は、それが何であったかを最後までには明示しないといけない、という知識を得、深く納得する。じゃあ王将ないほうがいいっ(笑)


そうなると、王将の無い、延々続く遊戯の相手は鏡像状態の自分だったりしてね。キャハ。
とか軽口を言いながら背筋ゾクーっとなったランチでした(苦笑)



"成る"って、なんか面白い概念だな。