たとえば?
たとえばどんなものが質感として知覚されるのだろうか。
要因はひとつではなかろう、しかし たとえば?たとえば?
ものが語る、ものがたり / ものを語る、ものがたり
●もの「が」語る
- 物質的な触感を通した"肌障り"としての表面の肌理?
- 光の反射による"見え方"(インタフェース)の肌理?
http://www.brl.ntt.co.jp/people/imotoyoshi/material-j.htm
http://www.brl.ntt.co.jp/people/imotoyoshi/material-j.htm
こういう研究内容とか、アフォーダンスと呼ばれる研究内容とか。そういうものにまつわるアプローチがひとつありますね。
●もの「を」語る
- 表象しているモチーフそのものの持つ質感?
etc.
オリジナルの表情について
はじめてみた/えもいわれぬ/脳の奥がモゾモゾする/言葉にできない something...
imageと呼ばれるもの、言語ではない、コードになる手前の存在。/ここ 良いたとえが出てこないので未記入
●ものがたらない
余談:大事な
tumblrやってるとわかるんだけど、『このイメージを リブログするか/しないか の閾値』って、あるよね。
ものすごく非言語的だけど、私個人として筋が通ってるような気がしている。かっこいいけどしない、とか、全然かっこ良くないし何が表現されているのか全然わからないけどリブログする、とか。
『イメージ』に対するアリ/ナシの判断って、ホント訓練が必要だし、"とんがろう"と思えば思うほど鋭くなっていける気がする。
その点でtumblrはきちんと取り組む必要があるものだと思うね。ちょっとアイドルクリップとかネタクリップとかと混在させるの止めよ〜。
自分にしか出せない質感
モノとの取っ組み合い方、そしてその組み合わせのバランスや、モチーフ(マテリアル:物質/非物質 ともに)の選択で、自分にしか出せない質感が出るか出ないかが決まるんだろうなぁ、と思った。
自分にしか出せない質感…ううむ…。ううううううむむむむ。(しばし混乱)
絵や文やオブジェなど、のせる媒体も選んでいいんだものねぇ。組み合わせは無限にある。
なのに、この ひとこと が、困難をともなうように思えてしまうのはなんでなんだろう?!
結論(何も答えは無いけど
これは一生かけて取り組むおしごとだ!
がんばるぞ。