春先ごろかなぁ?師匠から「親鸞」って漫画をホイって感じでもらってね。
多分他意はなくて。だから深読みしては行けないんだけど、でもやっぱり深読みするとね。
通るのか、そこ。やっぱりな。とか思ってね、一応ね、親鸞、行くんだけど。
なじめなくて、なんだか。やっぱり私ってわがままで独善的。とか思ってね。慈愛うけとるんじゃなくて、出したいというか出すというか。別にそんな他力必要ないとか思っちゃうのね。
でもそこで私の愛が「誰か/みんなのために」とかそういうんじゃなくてね、やっぱり『やむなく』ってことかなとか思うのね。
受難。
否定神学。信じてるからブンガクできるんだけど。
tetralemmaって究極の自滅だもんな。でもロジックで肉体は消えないんだ。世界との折り合いつけないと。
神様は究極のロジックなのかとか馬鹿な事を言ったり、書いたり。
話を親鸞に戻すと。何かに強く執着してからでないとありがたみの無い話なんだなとかおもったのね。
執着してみたい。それからそれを捨てたい。私は何かに執着するだけの根気を身につけなければ。
来るべき狂乱の世界に、ぽえーんと生きてきたツケが来る。「生きたい」って毎日祈ろう。