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口調は関係性を表象する

昨日、「最近rokazさん標準語でしゃべってる、テレビみたい」って指摘されて、いろんな意味ですごくへこむ。
テレビみたい、っていう例えが、その人にとってあまりよくない感じを受けてることが伝わって来たからね。それは本意じゃないなーと思いました。


昔から、何度か引越ししたし、属するコミュニティも結構たくさんあって、もともと"根"という意識が薄いような気もするし、あと、最近関東のひとと仕事したり英語で打ち合わせたりすることが続いたりで、口調がうつっちゃったんだと思うな。
そう、口調ってすぐうつるんだ。
私、ひとと話すの好きだし、それを表現するために相手の口調を真似して話すこと多いんです。
例えば、学生さんに出席を聞くときも、意識して相手の「はい」という返事とそっくりの音階で「はい」って言い返すようにしてるんだ。(これは反応がすぐ見えて面白いですよ)


でも、そうしているうちに、自分の土地の口調を忘れてしまったんだな。
土地っていっても方言というサイズのスケールじゃなくて。もっとっもっと狭い世界での口調の話ね。相手と私との会話のお約束のようなもの。


これまではきちんと大事に扱えていた人間関係の約束事の細かいところを忘れてしまったの?って言われたように感じたんだ。


私がテレビみたいって言われて凹んだってことは、実は『そこは私の立つアクチュアルな地面だ』っておもっていたのに相手からは「違う地面にいるよ」って指摘されたように感じたからなんだな。
あー、これは悲しい。書いていて初めて悲しかった意味がわかった。
私の地面を取り戻そう。アクチュアルな私の発語の地面。