昨日の長文エントリを書いた後、寝る直前に見た詩人の長田弘さんが出られた番組「視点・論点」〜「読まない読書」がリンクしたのです。
長田さんは、本自体の存在について、しっとり語っておられました。
寝ぼけたままの要約:
本を買うという事は、本を気が済むまで手元で預かるということなのだ、と。
本は、最後には"返される"もしくは"受け継がれていく"ものなのだ、と。
三色ボールペンで書き込んだり、切り貼りで本をいじるのは、本に対して無粋だ、と。
これらの話を聞いていて、『"本"の本来のありよう』について、深く考えざるを得ませんでした。
紙や布などで出来た 物質としての本 に対するフェティシズムだけではなく、本というものの成り立ち自体が持つ"詩性"を知る人がもっと増えると良いのにな、と私も思います。
本をとりまく状況そのものが、人類を含む世界のこれまでの全てを記述している一冊の本でもあるのです。
大学院では、こういう事態を拡大表現して表出させる試みをしてみたかったけれど、研究課題として理解してもらえなかった悲しい思い出があります。
私も、文芸書や人文書の類いには一切手は入れません。どうしても、という場合はPostItでしおりをいれています。のちにカードに書き出します。ただし、実用的な情報の書いてある新書とか文庫に関してはどんどん線を引いちゃいますが、、、。
そこはご飯を食べていくためには仕方ないとあきらめています。本は愛しているけれど(苦笑)