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I glanced at how sound-objects were created./Prima Materia of Yukio Fujimoto.

Prima Materia:錬金術師自身がもつ無意識の心的内容の投影を運ぶ未知の実体


Prima Materiaは世界の中である記号表現(イメージ)として機能し、そこにおいて、あるいはそれをとおして、無意識的な記号内容(意味)が「移される」。



本日よりOPENした藤本由紀夫さんの展覧会、 philosophical toys 哲学的玩具 を見に、西宮市大谷記念美術館まで行ってきました。


今日は、アーティストトークがあるということで、楽しみにして会場へ向かいました。
というのも、藤本さんは現在、大阪(国立国際美術館「藤本由紀夫+/−」)・神戸(西宮市大谷記念美術館「藤本由紀夫展 哲学的玩具 philosophical toys」)・和歌山(和歌山県立近代美術館「藤本由紀夫 関係 relations」)の3都市で「藤本由紀夫−聴覚の遠足 2007」を同時に開催するべく精力的に動いておられ、今日の西宮市大谷記念美術館が、その皮切りとなる展覧会だったからです。
アーティストトークでも、三館すべてにおいてアプローチの方法や内容が異なり、藤本さんの制作態度を一望出来るとおっしゃっていました。
今日のオープン時の素直な感想として出た「気持ちが良い」という言葉が印象に残っています。


1997年より10年間続いた毎年1日だけの展覧会、"美術館の遠足"(西宮市大谷記念美術館と藤本さんの共催企画)の記録とも言える展覧会となっています。
ただし、"美術館の遠足"11回目、という位置づけではなく、西宮市大谷記念美術館が企画した展覧会として開催されており、その展示方法は、ほぼ時系列に重要な作品などを約50点セレクトして配置されているという、ある種 美術館的なものでした。
"美術館の遠足"を体験したことのある人は、積極的に展示物に触れ、オルゴールのねじを回し、覗き込み、歩き回り、板を踏みしめて割ります。作品に触れる事や踏みしめる事にためらいを感じさせないということが、いかにすごい事かを実感します。この10年で私たちはすっかり作品との関係作りの方法/インタラクションの方法を教育されてしまっているのでしょう。
しかし、同じ作品を同じ様に体験しているのにも関わらず、なぜか居心地が悪く感じてしまったのは、きっと展示のための方法が窮屈に感じたからだと思います。
時系列のすごみは、ひとりの人の思考の流れをたどるという意味で、あまりに具体的過ぎたのかもしれません。作家がそれを感じさせない様に、意識的に/もしくは無意識的に 回避していた部分を明らかにするという部分では、それは暴力的でもあります。藤本さんはその事に関して「自分のことを冷静に眺める感じ」と形容していました。
私自身は、作家一人の持つ歴史のあまりの重さに驚き、頭を抱えてしまいました。この重さを感じてしまった感覚については、興味深いので考察を続けていきたいと思っています。


アーティストトークでは、自らが『サウンドアーティスト』となったきっかけとなる出会いについてお話されていました。

on sundays...で出会った一冊の本「für Augen und Ohren (for eyes and ears)」/「目と耳のために」展覧会カタログ
そして、その中で出会った図像の制作者 アタナシウス・キルヒャーAthanasius Kircherの音響学

「目と耳のために」という展覧会のカタログで紹介されている作家や作品をいろいろと解説していただきました。
ウエンディ・カールズ 小杉武久 ジョージ・アンタイル ルイジ・ルッソロ フェルナンド・レジェ パイク ボイス ティンゲリ ローリー・アンダーソン ジョージ・ブレクト フランスワ・バッジェ ハリー・ベルトイア ケージ ペヨトル・コワルスキー ダニエル・レンツ ロバート・モリス ハリー・パーチ ラウシェンバーグ テリー・フォックス サーキス などなど(聞いたままメモしたので間違いがあるかもしれません/追々検証します)
 
彼等の作品を評して「日常のものを観察して、それを自然な形から作品にするということが良いなぁと思った」という一言が、藤本さんの作品に対する態度を率直に表しているな、と思いました。



アタナシウス・キルヒャー*1については、藤本さんの語り口調から相当お好きなんだなぁと分かるほどに愛のこもった説明とツッコミが入っていました。
キルヒャーの持つ、執拗なまでの分類熱と、新しいメディアへの好奇心、そして大真面目に暴走する妄想力からうまれる突拍子も無いものを愛してらっしゃることが伝わってきました。
「僕の作品は、キルヒャーの残した音響学に関する研究や図像を元に、それを今のメディアで再現しているだけですよ」とまで。
日常の物理学から、ある時物質が意味をまといジャンプする瞬間の楽しみとその方法を知っている藤本さんは、とても楽しそうに見えました。

キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢

キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢



「パフォーマンスはもうやらないでおこうと決めていたのですが、、、」ということでしたが、トークの最後に「今日だけ、やります。最近気に入っているものを」ということで、会場は期待に沸き立ちました。
両手の手の甲に大きな銀色の機械のついたバンドを巻き付ける藤本さん。スイッチをいれると震え始める機械。手が震えるまま、デスクの上のパンフレットやチラシ、パラフィン紙に触れていきます。紙は激しい振動で波立ち、音を鳴らし始めます。


大きな拍手の波が二度起こりました。一度目はパフォーマンスに対する拍手、そして二度目は藤本さんのこれまでの活動に対する拍手でした。
私も、惜しみない拍手と敬愛の念を贈りました。




錬金術師の第一質量
キルヒャーについて語られた、という事は、錬金術という語を使うことを許されるという事だと思いました。
そこで私の感想は、「藤本さんの第一質量を垣間見てしまった」という一文になりました。


通常は第一質量というものは、直視できないほど眩しい光をまとっているものなので、他の人が触れる時には、表面にいろいろなものをかぶせるもしくは見えない様にするものです。
しかし、引き算するように身の周りを片付けて、説明する事も、取り繕う事も止めていく。そうして純化されていったオブジェクトと、更に今日この場だけで見られたパフォーマンスによって、藤本さんの第一質量が垣間見えたと思ったのです。
 
そこかしこから空気が自由に通過する空洞のような態度を持つ存在である藤本さんらしい状況だとおもいました。
でも、受け取る側としては覚悟が居る状態でもあります。光に照らされて、自らの中を空かし見られるような怖さを覚えました。


今日感じたものをあえて言語化するならば、『ゆれている(振動)という、実在』がそれにあたるでしょうか。
振動を感知するためには、その現場にいないといけない、ということが、"今そこにある空間と実在"の意味をのせるために適しているからかもしれません。


そんな事を思っていたら、作品でよく見た"REFLECTION / REFRACTION / REAL"というモチーフワードが浮かび、ひとり合点をしました。
八月上旬まで開催しています。是非足を運んでみては?
私は、次に開催がはじまる国立国際美術館のオープニングにも行くつもりです。


藤本由紀夫展 哲学的玩具 philosophical toys
会期=2007年6月30日(土) 〜8月5日(日)
休館日= 水曜日/無料開館日=7月16日(月・祝)
開館時間= 午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)



*1:1602〜1680 ドイツ生/イエズス会の修道士、博物学者。数多くの学問に通じ、大量の図像を含む書籍を出す。当時の技術力や科学力では解明できなかった事に関してはキリスト教的想像力を使って解決した事により、疑似科学としてインチキ分類される事も多い。しかしその多岐にわたる分野と功績に対しては、根強いファンを持つ人物でもある。