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個人として向き合う事

非常勤で、週の2/7を大学生と一緒に過ごしています。うけもっているのは美術やデザインを先攻している学生なので、自己主張の強いタイプが多いと思います。しかし、その中に数パーセント、自己評価がものすごく低く、存在感はあるが主張をしない学生がいます。主張をしないとは言っても、自分なりに考えている"こだわり"はありそうなのですが、いかんせんそれを外に出したがらない。こちらとしては、作ったものを出し惜しみされてはアドバイスも評価もできないので、授業が終った後などに「もう一回ちゃんと見せてよ」と強引に手のうちから引きはがしてしまうことがあります。「なんだ、ちゃんと取り組んでるんじゃん」と言うと、はじめは自らを過小評価するコメントをはさみつつも、話しているうちに突然堰を切った様に自分がやりたかったこと、問題点などを色々と話し始めます。そんな時、「本当は誰かに正当に評価されたい」という欲求を強くぶつけてきているのを感じます。私は年齢的にも(まだ)フランクに接しやすいようで、自らの不安や疑問などを口にしやすいのかもしれません。
「そうか、あなたは"この"モチーフに対して"こう"考えて、それを"このように"視覚化したのだね。その試みについて"この"点は成功しているし、"この"点は不明瞭だと思う。"ここ"は具体的にもっと"このよう"にすれば良くなると思うよ。」
となるべく具体的に平易な言葉でその学生が工夫したであろう点を文章化し、その意図が通っているかうまくできていないかを主観的に評価するようにしています。
その時にこちらに流れ込んでくる素直な視線! 私の主観で個人とその作品に向き合って、具体的な行為に対する評価やアドバイスをするだけで、どうしてこんなに嬉しそうな目をするのだろうか。集団(クラス)で合評しているときの目とは大違いなのだ。
美術やデザインというのは、自己評価が高くないと続けていけない側面があるタフな分野だと思うので、「誰かに評価されたい」なんて思っているとすぐに気持ちがつぶれてしまうだろうな、とは思いますが、その嬉しそうな目には好奇心や歓び、向学心を含むポジティブな芽があり、それを育てる事は、非常勤をやっている中で感じる楽しさであります。
 
本人が消極的になっていて素直に認められない芽に、「それはあなたの芽だよ」と指差してそっと土をはらってやるだけで、随分と変化があるものだと実感しています。ただ、個人間ではそれができるのに、集団の中になるととたんにそれが難しくなることが、最近直面している授業の難しさです。