◆NEWS :装幀してます 最近のお仕事は→仕事の記録 : Twitterから
◆NEWS:2007年3月、フリーランスのデザイナー兼ライターとして個人事務所を立ち上げました。

ビジュアログtumblr:http://okazawarina.tumblr.com/
つぶやきtwitter:http://twitter.com/rokaz
つぶやきログtwilog:http://twilog.org/rokaz

オーラの泉/宗教学/調停者/教育

と思ったら、二日前くらいにいったん終了したはずの宗教ブームへ、ぐぐぐっと引き戻される出来事が。
今日、講師の懇親会の二次会で、そんな話になったのだ。(大学がキリスト教系だからか?)


オーラの泉批判する先生と、カウンセリングと宗教との狭間について話したり、とか、まわりに人やお金を集める人徳(カリスマ性)と神学との関係についてとか、、、とにかく不思議な空間になった。
「あ、暗示か?まわりでそんな話ばかりしてる。」


面白い流れだし、この兆候をみすごしてはいけない、どうせなら、と思って、開け放して宗教について話してみることにした。(一応、外に向かって開いてるあやうい時期の暗示は怖いので、一枚だけ「すべてをうなづいて きく ひと」というベールを張る。)


自らのスタンスを確定しないまま質問を続け、段階的に直裁に相手の懐に飛び込んで、なるべく深くまで話を聞けるように意識する。そうすれば、どこかで抵抗感があるはずだ、私か、もしくは相手かに。それが何かは、聞いてみないと分からない。


私のひっかかりは「神」という単語だった。いったん言葉にしてしまうと、説明されたようで立ち消えて曖昧になってしまう「something」がある。厳密に追い込んでなお出てくるものが見つかるまでは、やっぱり宗教学には容易に触れられない。と思った。


今私は、否定神学的なアプローチに興味が有るんだな、という認識を得た。あ、だから大澤真幸かなって思ったのか。と、いまさらながら納得。



言葉にすることで消滅する、アクチュアルな意味や価値を見つめ続けるには、「神」という単語は口にするべきではないんだなぁ。(それと近接したものを感じ考えていたとしても)
これから先の数年は、今この場この状況にたいしてインタラクティブな自分のみを刷新しつづけるビジョンからは離れないようにしたい。