大昔から変わらない搾取の構造について。
典型的なイメージ;
声の大きい、もしくはよく通る人の後ろにある、企業のmore,more,more.のシステム。
自らを高見に設定したい自己顕示欲をうまく誘導されたスノッブな消費者の満足するシナリオ。
まさかと思ったが、そのまさかが存在するとは。Sigh
雑観;
インターネットによって、隠蔽された情報もしくは取りこぼされている情報へのアクセスが可能となってきた今、マスメディアとしての雑誌やテレビに対しての不信を抱いている人は明らかに増えていると思うが、さらにそこから別のステージに立つにはどうしたらいいのかさっぱり分からずに、ただただ不信感を持ったまま右往左往。
現在のこの世界では、結構な量の情報のインプットは必要不可欠なのだ。でもどこから?
簡単な答え:自分で体験すれば良い。
自らの知識欲に対しては、内容がいかなることでも、卑屈になったり偉そうに振る舞ったり恥じる事も無くただ「素直」になれば良い。(*1)
「それをそうするとどうなるか知りたかった」という発端から実際に体験を通じて得た事を、ドキュメンテーションして広く共有出来る様にすればいい。
そして、自らのために行ったことには対価を求めない。(あっちへ行かないように)(*2)
しかしいずれ、別の誰かが別の体験から得たものをシェアするような関係性を結んでいけると思う。
これが2.0的アートのユートピア。:禅とかにこんな話は有りそうだね。
*1)素直になるってことは、実はとてもとても敷居が高いな。
*2)ただし生活はない