今日はお休みしすぎて脳が軟化しているので、ちょっと作品の話もしておこうかと思います。
「わたしのたからもの」 について
今、計画中のワークショップに「わたしのたからもの」というのがある。その中で参加者には、自分の宝物の映像を撮影してきてもらうことになっている。それを素材に、いろいろと考えよう!というプランなのだが、はて、宝物、というと、なかなか思いつくものではない。
私の宝物は何なんだろうか。と考えてみる。、、、それは、映像に映すことのできるものなのだろうか?
たからものが物質とは限らないのだ。では、このワークショップで見たい"たからもの"はどうすれば見つかるのか。
宝物のまわりには、必ず情景がある。
その状況を想像によって導きだし、物語として結ぶ事が出来れば、他人の宝物を知る事が可能になる。
そうすることによって、宝物は物質を越えて、"たからもの"という詩になる。
イメージの力、ナラティブ。ポエジー。
避け続けて来た方法に、ようやく取り組む気力が出て来たのだ。
成功か、失敗か。時代錯誤的なのか、真理なのか、無意味なのか。それはやってみないとわからないのだ。