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理系の弟妹、文系の私|無限論の入口で

随分前に、兄弟三人で「無限ってさぁ」という話になった。
ビデオカメラで画面を写す。そして写された画面を映し出す画面、、、と続いていく向かい合わせの鏡のような状態を想定しよう。
機械の処理にかかるレイテンシーがある以上、今映っている画像は奥に向かって、てててててててててて、、、∞  とある軸を持って「進む」。
画面の解像度という問題を考えなければ、終わる事無くどんどん奥に進んで行くのですよね。
おもしろいよねー。うんうん。
でも私、どーも解せなくて。ええええ?無限よくわかんない。認識できない、なんか変だよ。そりゃ、思考の上で「ある」のはわかるけど、、、なんだかなぁ。とかゴニョニョ言ってたら、理系たちに「そんなんだから駄目なんすよ、文系のリミットだね」とか言われる訳ですよ(苦笑)


ちょっと勉強しようと思って買ったまま鞄に入りっぱなしのこの一冊。

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限における抽象的思考の入り口で、私は立ち止まる、「それを許容するか、しないか」。
「ただ単に、数学的な思考が苦手というわけじゃないか、君。」と言われればそうかもしれない。でも、ただの記号的処理としての虚数だの、無限だのがどうしてもひっかかるのだ。かたくなになるほどひっかかる。
私はそれを許容していいのか?


★なので、ちょっとリサーチしてみました。
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card10835.html|無限について
カントールの集合論
無限−G.カントールカントールの無限についての易しい方法での説明

point1:加算(例えば数(分離量)) OR 分割(例えば 連続空間(連続量))
加算:例)無限ホテル(説明
分割:例)合わせ鏡 割れない風船をどこまでもふくらます

ふむふむ。ここまではわかりますよ。

point2:可能的 OR 現実的
可能無限とはそのつどの現実的な大きさや多さとしてはつねに有限にとどまりながら可能的に無際限に増大,増加しうる無限のことで,すなわち「テロス」に至らない無限であり,現実的無限とは,確定的に自存する,すなわち「テロス」に至った無限のことである.
テロス…終極点、目的地

私、可能無限ならわかる。私のひっかかってる点というのは、現実的無限への疑問に端を発しているのね。
ちなみにカントールは「現実的無限(実無限)」の立場にある。

アリストテレスにとって形相こそものの現実性、実在性の基準であったが、無限は「アペイロン」=「限定のないもの」であって、限定のないものは形相もないから実在的ではない、という論脈があるのだ。宇宙が有限であるのも、有限、限定あり、形相ありの方が尊ばれたからである。アリストテレスの宇宙は、有限であるとともに、形相を持つ調和的な宇宙(コスモス)なのである。
しかし、こうしたギリシャ的と見られる観点は、しかし、全く異なった風土から強烈な攻撃を受けることになる。即ち、ヘブライズムである。言うまでもなくキリスト教およびその起源としてのユダヤ教は峻厳な一神論でああり、超越神論である。「超越」という言葉に注目しよう。これは神が世界そのものを超えているということだ。つまり、それはこの世界のどんな基準でも計れないような神の存在を主張する。言い換えればそれはあらゆる限定を超えた、まさしく無限者でなければならない。

要約すれば
神を認める立場は基本的に現実的無限の立場となるであろう

ふうむ、、、。やっぱこういうことにつながってるんじゃん!
直感は正しい。
即決はやめてちょっと真面目に勉強しよう。危ない危ない。


実無限に関する様々な立場について|G.カントール 1886


私のひっかかりにつながってそうな先→
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card14417.html|「全体性」の哲学
ライプニッツもう一回調べようっと。